岩倉移転後もその名を刻む立志館
1910年(明治43年)8月、当時の金額にして2万円という工費で竣工、翌1911年(明治44年)に正式に命名された初代の立志館。「窮と雖野鄙の志を生するなく確然と志を立て日夜勉強致し、他日小子の談合手に相成候様」という、新島先生が父・民治へ宛てた手紙からとられた名前です。禁制を犯して脱国、幾多の困難を乗り越え京都にキリスト教主義の学校設立を成しえた新島先生は、まさしく「志」の人でした。
立志館は、今出川キャンパスにおいて約1世紀に渡って生徒や教職員に愛され続けた建物で、その名は、岩倉への移転後も新しい中学棟のメインに据えられることが決定しています。
当日、立志館では、物理教室、化学教室、地学教室、第一音楽室、一部のHR教室など、昔とほとんど変わらない教室を見ることができます。床のきしむ階段教室や今も生徒たちが油引きしているHR教室で、学生当時を振り返ってみてはいかがでしょう。